私たちの札幌移住は、私と妻、そして当時小学6年生だった息子との、家族3人での移住でした。ここまでの記事では出張のきっかけや準備期間について書いてきましたが、実際に暮らしはじめてみると、大人だけでは気づけなかったリアルがたくさんありました。今回は、家族目線で見えてきた札幌の暮らしについてお伝えします。
卒業式に出られなかった息子――転校という現実
息子にとって一番つらかったのは、1年生からずっと通っていた小学校を、卒業式に出ることなく去ることになったことでした。仲の良い友達と過ごした6年間の締めくくりを迎えられないまま、まったく知らない土地の学校へ移る。親としては「仕方がない」と分かっていても、悲しむ息子の姿を見るのはこたえるものでした。
その後しばらくして、前の学校から卒業アルバムが送られてきました。開いた瞬間の息子の表情は、今でもよく覚えています。悲しさと嬉しさが入り混じったような、複雑な顔をしていました。転校というのは、子どもにとって想像以上に大きな出来事なのだと、あらためて実感した出来事です。
「スキーの授業がある」と聞いて、あわててスキー教室へ
転校が決まったころ、「札幌の小学校にはスキーの授業がある」という話を耳にしました。神奈川で育った息子は、当然スキーなどしたことがありません。このままでは授業についていけないのではと、引っ越し早々、あわててスキー教室に駆け込んだのを覚えています。
今となっては笑い話ですが、こうした「知らなかったこと」に直前で気づかされる場面は、移住のあちこちで起こります。夏休みが短く冬休みが長いことも、小学校からスキーの授業があることも、住んでみて初めて実感する北海道の学校文化でした。
子どもの適応力に驚かされた日々
親のほうが心配していたのが拍子抜けするくらい、息子は新しい生活にすぐ馴染んでいきました。転校直後こそ戸惑いもあったようですが、気づけば新しい友達と当たり前のように過ごすようになっていました。中学生になるころには、友達を家に呼んで遊ぶ姿もすっかり日常の光景になっていました。
子どもの適応力は、大人が思っている以上にたくましいものです。もちろん個人差はあるでしょうが、少なくとも我が家の場合は、親のほうが子どもに励まされる場面のほうが多かったように思います。
引っ越し初日に驚いた、ご近所付き合いのあたたかさ
大倉山競技場の近くに新居を構えたのですが、荷物を運び入れたその日のうちに、お向かいさんが声をかけてくれました。ゴミ出しのルールや雪投げの作法など、その土地ならではの暮らし方を、初日から親切に教えてくれたのです。子連れで見知らぬ土地に来た身としては、これほど心強いことはありませんでした。
あとから知ったのですが、そもそも北海道は明治時代に全国各地からの移住者によって切り開かれてきた土地です。屯田兵をはじめ、多くの「よそもの」が集まってできた街だからこそ、今も外から来た人を特別扱いせず、自然に迎え入れてくれる空気があるのかもしれません。はじめて足を踏み入れた土地で暮らしはじめた私たち家族にとって、この土地の懐の深さは、すぐに実感できた大きな安心材料でした。
スーパーやコンビニで感じる、日々の暮らしの手触り
家族の毎日の買い物も、暮らしのリアルを教えてくれます。ラルズ(引っ越した当時はフレッティ)やラッキー、イオンといった大手スーパーは何でも揃っていて不自由がない一方、北海市場やまんぼうといった地元スーパーには、旬の魚介や北海道らしい掘り出し物が並びます。キズモノのメロンが300円、鮭の半身が500円といった具合に、季節の恵みが手頃な価格で手に入るのも、子どものいる家庭にはうれしいところです。近所のコンビニではセイコーマートを使うことが増えました。「道民の台所」と呼ばれるだけあって、プライベートブランドのお惣菜が家族の食卓をよく助けてくれています。
車は家族の足として、やっぱり大事
子どもの用事や学校関連の送り迎えを考えると、車は家族の暮らしに欠かせない存在でした。地下鉄やバス、路面電車も便利ですが、駅から少し離れた場所に住むなら、車がある前提で暮らしを組み立てたほうが安心です。特に雪道では、四輪駆動とスタッドレスタイヤの組み合わせが心強い味方になります。子どもを乗せて走る冬道だからこそ、装備には気を配るようになりましたし、融雪剤による車体へのダメージにも気をつけるようになりました。
まとめ
転校という試練もありましたが、振り返ってみると、子どもは私たち親が思っていた以上にたくましく、新しい土地に馴染んでいきました。そして、その背中を押してくれたのは、ご近所をはじめとする札幌という街の懐の深さだったように思います。次回は、実際に暮らしてみて感じた「良かったこと」「後悔したこと」を、家族の本音として率直にお伝えします。

